ISSJのはじまり~養子縁組支援
ISSJは、養子縁組事業や日本に暮らす移住者の支援の中で、子どもを中心とする家族へのソーシャルワーク(相談支援)を行っています。ISSJの事業が多岐にわたる背景は、設立から現在に至るまでの社会の変化と、それに伴うソーシャルワーカーたちの実践にあります。(事業内容はこちら)
占領期の日本と戦後「混血児」
ISSJの前身は「日米孤児救済合同委員会(American Joint Committee for Assisting Japanese-American Orphans)- 以下、委員会」で 、1952年 に設立したとされています。これは、日・米 ・カナダ人有志による任意団体で、第二次世界大戦後の駐留軍兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたちの救済を目的として、国際養子縁組の支援を行っていました。
委員会の始まりについては正確な記録がなく、1945年からという説もあります 。 ただ、「1952年 」には様々な変化がありました。この年は、サンフランシスコ条約が発効して連合国による占領が終了した年であり、同時に、戦後に日本人女性と駐留軍兵士との間に生まれた、いわゆる「混血児」が就学年齢に達し始め、その存在が顕在化 した年でもありました。前例のない事態に対して政府は 実態調査を行い、それを受けて国会でも議論が行われました 。一方 「委員会 」は 、 養子縁組によって子どもたちに新しい家庭を見つけると共に、日本に残された女性に米国に渡って米国人夫との家族再統合を行う支援を継続していました。米国では1953年に「難民救済法 (Refugee Relief Act)」が成立しすると米国人の養子となった孤児や、縁組手続中の孤児も入国が認められるよ うになり、日本から米国へわたる国際養子縁組が活発化しました。委員会からISSJに引き継がれ残されている記 録では、1952~1954年の3年間に委員会による国際養子縁組は785人であったとされています。
ISSの日本支部に
委員会は、国際養子縁組を支援する中で、専門知識の必要性を痛感するようになりました。それが、ソーシャルワークです。海外に多くのネットワークを持っていた委員会は、ジュネーブに本拠を置くInternational Social Service(ISS)に連絡し、1955年に業務提携を開始します。これにより、ISSから専門家を招聘して研修を行うことが可能になりました。委員会スタッフは欧米のソーシャルワークを直接学ぶ機会を得て、養子縁組で実践するようになり、そのスキルは後世に受け継がれていきます。
委員会はISS日本代表部として活動を続け、1959年に社会福祉法人日本国際社会事業団として認可され、同時に、正式なISS日本支部となりました。
ISSJの難民支援
インドシナ難民の来日
ISSJの難民支援は、1975年にインドシナ難民(ボート・ピープル)が来日したときに遡ります。
戦争の災禍を逃れた最初のボートピープルは千葉県に入港し、その後も到着が相次ぎました。日本は、1978年に日本に入国したベトナム難民で定住を希望する者に在留を許可する方針を決定しました。ISSJは1979年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所より難民のための宿泊施設探しを依頼されました。これが、ISSJが最初に行った難民への直接支援だと記録されています。
政府は「ヴィエトナム難民対策室」を設置しましたが、その文書「ヴィエトナム難民の定住手続等を援助する団体について」には、定住手続を援助する団体としてISSJが記されています。1981年に日本は難民条約に加入し、1982年より発効されました。
当時の定住支援
ISSJは多岐にわたる定住支援に携わりました。「UNHCR-ISS難民定住センター」は設立後すぐにISSJの手を離れましたが、退所した難民の定住援助や相談支援、「難民定住相談員制度」の発足と相談員研修、日本語教室の開催、学資援助などを実施しました。また、政府の方針によって、ベトナム難民として来日した児童は日本の家庭で里子になることで定住が可能となったため、ISSJはこれまでの国際養子縁組支援の経験を活かし、1980年から93年の間に、57名の里子を35家庭に委託しました。
日本政府は支援対象をインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)に広げ、受け入れ総数は約1万人となりました。長年移民や難民を受け入れた経験のない日本社会において難民の定住援助を実施したことは、ISSJにとっても気付きと学びの多い経験となり、今日の活動にも引き継がれています。
※国の了解を得て実施される難民の子どもの里親委託事業はこの時のみで、紛争・戦争下の子どもの養子縁組をISSJがこれを行うことは一切ありません。ISS本部からも武力紛争の混乱の中で養子縁組をしてはならないという文書が発出されています。
あゆみ
1952年 | 日米孤児救済合同委員会発足、戦災孤児や国際児(混血児童)の援助を開始 |
1955年 | International Social Service(ISS:本部ジュネーブ)に加盟し、国際間福祉援助を開始 |
1958年 | ISS沖縄代表部設立 |
1959年 | 社会福祉法人日本国際社会事業団として厚生省より認可 |
1960年 | 呉事務所設置、混血児童の援助開始 |
1966年 | 呉事務所にて混血児への社会適応援助開始 |
1973年 | ISSアジア・オセアニア地域会議開催 |
1974年 | 養親候補者に対する第1回オリエンテーション開催、以後今日まで継続 在日米国籍児に関する研究・国籍紛失のための調査報告書作成 |
1975年 | 混血児福祉への貢献に対し、天皇陛下より下賜金を賜る |
1979年 | UNHCRの委託によりインドシナ難民援助事業開始 UNHCR-ISS難民定住センターを開所(同年閉所) |
1980年 | 第1回チャリティ映画会開催 |
1982年 | ISSインドシナ難民定住相談員制度発足、難民定住促進センターの卒業生の相談援助を開始 |
1991年 | 国際ソーシャルワーカーの研修育成開始 (以後、カンボジア・フィリピンより研修生を招日、およびカンボジア・タイ・ベトナム・フィリピン・中国へソーシャルワーカーを派遣) |
1994年 | フィリピンのDSWD(社会福祉開発省)とフィリピン国際児の福祉援助に関する業務協定を結ぶ |
1995年 | ベトナム医療支援活動実施 |
1996年 | 「ISSJ呉国際交流の会」発足 カンボジアにおける人材育成事業開始 デイケアセンター「プテア・ニョニョム」を開所 |
1998年 | 「国境を越えて愛の手を-日本国際社会事業団45年のあゆみ」出版 |
2002年 | 50周年を記念して「The History of ISSJ 1952-2002 写真で見るISSJ50年史」出版 |
2004年 | フィリピンのICAB(国際年養子縁組審議会)と業務協定を結ぶ |
2008年 | 国際養子縁組とハーグ条約を考える会議開催 |
2009年 | 呉事務所を閉鎖 |
2013年 | 「The History of ISSJ Since 1952」(英語版)出版 |
2014年 |
外務省からハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)に基づく「親子の面会交流支援」機関として業務委託をうける。 |
2016年 | カンボジアの教育・人材育成事業の支援を終了 「プテア・ニョニョム」運営を現地スタッフに移管 |
2019年 |
養子縁組あっせん事業者として許可される(30福保子育第2556号) |
2022年 |
2カ国以上にわたるソーシャルワークや手続き支援をおこなう「Children Across Borders」をISSJの一部門として設立 |
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